2006年09月26日

●敦-山月記・名人伝-

 北九州芸術劇場、初回公演。
 北九州芸術劇場は、主催公演は基本的に複数回やってくれるので嬉しい。

 さて、公演。
 同行した友人たちに呆れられたのですが、「山月記」という名前は知っていたものの、「中島敦」の作品もよくわからず、チラシをまともに見ていなかったので、話の筋がわからない。(苦笑)
 いや、中島敦という作家とその作品を表現したものだというのはわかりました。

 構成の印象。
 1.中島敦というヒトの、人となりを語る。
 生い立ち、メンタル面…非常にネガティヴ思考の人で、死というものに尋常でない恐怖を抱いていたということ。
(太陽が燃え尽きて人類が滅亡したときのことを考えて絶望しきっていたというエピソードが添えられますが、実はわたしも、同じような恐怖を抱いたり遠い未来のことのはずなのに想像して凹みきったりということをやっていたので、なんじゃそりゃーと突っ込むことができない…)
 なにげなくセットに位牌が置かれてたりするところはちょっと微妙。
 サイドからの観劇だったので、全体を見れば効果的だったのかしら?
 ++同じ衣装・髪型の人物が4人(中島敦らしい)、うごうごとうごくことで内面の葛藤などを表していたのかな。

 2.たぶん、わりと自然な移り変わりで、「山月記」へ移行。
 しくみとしては、リーディングに近い感じ。
 登場人物を演じる役者がいて、中島敦に扮した人のうち、1名がストーリーテラー的な役割で補足をしつつ、役者本人がト書きまで読んじゃうイメージ。たぶん、原作に非常に忠実に語っているのだと思う。
 虎になる主人公は、「野村万作」さん。大ファンです。
 迫力、声のトーン、動きの表現、秀逸。
 ふだん狂言では苛烈な雰囲気が強いのですが(滑稽な役どころを見事に演じていても、やはり醸し出す空気が違う)、今回は矜持の高い人間が苦悩する様を描いたもの。
 うーわー、と圧倒されっぱなしでした。
 ただし、途中で構成の単調になる部分があって(虎、出る。相手、驚くという感じの繰り返し。強調などの意図はあったはず)そのあたりでは大変気持ちのよい感じになってしまいました(詳細略)。

 3.休憩を挟んで、「名人伝」
 これは主人公を野村萬斎さんが演じる。
 中島敦の扮装から、そのまま衣装の上着を着て主人公に変化。
 山月記がわりと暗いというか深刻というか…な話だったためか、名人伝は非常にコミカルな演出が試みられている。
 その中のひとつが、「スクリーンを使った文字の表現」。
 雁が群れをなして空をとぶというシーンで、スクリーンに映し出されたのは、雁の群れ一羽一羽を「雁」という文字で表現した「雁の群れ」。
 鳥を打ち落としたというシーンでは、「鳥」と書かれた紙が降ってくる。ある意味やりたい放題。
 この漢字表現はなんとなく「日本語であそぼ」を髣髴とさせる。
 さて。コミカルな演出、スピード感を示すためにか、萬斎さん演じる主人公はやたらよく跳ねる。走る。
 動きも表情も大仰。やや、狂言的表現と思うところもありつつ、狂言は基本的に「表情で感情を表すものではない」そうなので、うまく融合しているのかな。
 伝統芸能にたずさわる方、特に「型」「様式美」を重要視する人々の身体能力の高さにはいつも驚嘆します。背中の角度を15度反らしそのまま止める。反動をつけずに滑らかに身体を起こす。そういった動きをするためにどれほどの筋力が必要か、訓練が必要か。
 ところで、この中でやはりいいなあと感じたのは「石田幸雄」さん。
 この方はお話も上手で、やはり見せ方を心得ているなと思います。
 師匠と主人公の奥方の演じ分けを、笑を誘うことで不自然なくやってのけられるのは、石田さんならではでないかしら。
 
4.エンディング
 名人伝は主人公が死ぬところまでを表現、舞台中央で座り込みうなだれている主人公の後ろに、中島敦に扮した萬斎さんが登場(名人伝後半で、野村万之介さんと主役交代するので)。
 万之介さんの後ろに立ち、照明を落とした舞台でピンスポットを浴びながら、何度もでてきたモチーフ「人生は何も為さぬにはあまりに長く、何かを為すにはあまりに短い」(だったかな?)を繰り返す。
 その「あまりに、短い」が非常に余韻を持たせた表現だったので、そこで終わるかなと思いきや、「気弱モード」の中島敦が延々と人生の絶望について語ったところが、私の中ではマイナス。
 ちょっと微妙な終わりかただなーと思った。

 前半で絶望感について延々と語り、そのまま何かを為そうとしてなりきれず、苦悩する存在を書いた山月記に移行。休憩を挟んで少々コミカルなノリで、一生をかけて弓射の技を習得し、悟りを開いて(?)尊敬されていた人物が、最後には弓とは何かを忘れているという(解釈は、本そのものを読んで各自でどうぞ)ちょっと世情を皮肉った表現の作品を。
 曲解すれば、「できなくて凹んだヒト」の話と「できすぎて悟りきっちゃってなんか変な感じなヒトの話」。
 人生は何かやろうとすれば短いし、何もしないでぼーっとしておくには長すぎる。
 このモチーフを生かすためには、名人伝の後、すぱっと終わったほうが、なんだか余韻が残って脳みそを働かせる余裕があってよかったんじゃないかなーと思いました。

 余録。
 音楽がすばらしかった。もともと、鼓の音はとても好きなのですが、生尺八と生鼓ですよ!(いや、普通に狂言とか行って聞いてますけどね、普段も)
 鼓の方の声もすばらしく良くてうっとりでした。ちょっとゆーもあもありつつ。
 和楽器っていいなあ。当社比満足度1.5倍です。音楽の力で。(や、作品そのものを1倍として)

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