2006年08月29日

●猫ネコ仔ねこ。

 いきものカテゴリで、あえて。
 今話題の、某直木賞作家の「仔猫殺し」。
 最終的に報いは自分が受けるのだろうと思うし、持論は人それぞれかもしれませんが、堂々と「崖から捨てています」と公表してしまう神経ってよくわからない。
 生の充実うんたらっていわれたって、よくわからない。
 避妊手術をしないのは飼い主の自由だけれど、それならば発情期に外に出さないとか、そういう処置をすべきじゃないかな。
 複数の雌雄混ざったイヌネコを飼っていて、避妊をしなければ無尽蔵に増えるでしょう。
 動物が複数の子供を出産するのは、そのうちの1匹でも生き残ってくれればいいという生存本能から。
 人間が乱獲しなければ絶滅危惧種に指定されるような動物はほとんどいなかったわけだし(ヒエラルキーのひとつが崩れれば、間接的にも絶滅に追いやられる種類の動物はいますよね)、それが生活を保護する愛玩動物にいたっては、結局、数のコントロールは人間がするしかないのだろうと思う。
 それを傲慢ととるかどうかは人それぞれですが、生まれてしまった子供は野良にする以外の方法を考えるのが責任ですよね。

 でも、この某作家さんは、「殺しの痛みを請け負う」といって、「崖に投げ捨てていた」んですよね。
 そこがとても気になる。とてもとても気になる。
 崖に投げ捨てるのって、一瞬で楽になるよね。
 あー殺したって、楽に思っているのかしら。
 実際に身体が冷えていく感触も知らず、動かなくなった仔猫をその後どうするかも考えず(でもこの人なら家庭ごみとかに出しそうでイヤ。偏見ですけど)、ただ、ポイとするだけ。

 まるでタバコのポイ捨てみたい。

 自分のお家の庭にごみを怒るだろうに、道端には捨てていくの。土には還らないで、吸殻は誰かが拾って捨てるまで、永遠にそこにあるのにね。
 崖に打ち捨てられた仔猫に、息があったらどうするのだろう。
 死んでしまった仔猫が波際に打ち上げられて、朽ちていく姿を見てしまった人のつらさや不快な気持ちのやり場はどうなるんだろう。
 全部全部放棄して、ただ捨てました、で自分は全部背負ってますからって言い切ってしまうのってどうかなあ。
 今は仔犬殺しの話題も出ていますけれども。
 そこは一応、明記していないので触れないことにして。
 
 年に2回の権威ある賞、それを受けていなければこんなにクローズアップされることもなかったでしょうし、こんなふうに堂々と持論を展開して「コレが私の考え方だ!」みたいなこともなかったんでしょうね。
 星の数ほどいる作家の中から、評価される作品を書いた能力はすばらしい、けれどもその瞬間の輝きが永遠に続く人はほとんどいない…そんな気持ちが常々します。
 過去の作品に手直しを入れて、駄目にしてしまう作家をたくさん見るような昨今では。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://tra.cside.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/105

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)