2006年01月05日

●古畑任三郎 3連続シリーズその1(藤原竜也&石坂浩二編)

 3夜連続のシリーズ仕立て、というので3夜見終わってから書いてみることにしました。
 
 第1夜は藤原竜也&石坂浩二。
 3夜中、一番安心して見られる組み合わせ。
 藤原竜也さんは、機会がなくて今のところ生で見たことはないのですが、個人的にはかなり注目している役者さん。
 ちょっとエキセントリックな、子供のまま大人になったような……幼い狂気のようなものを表現させると特にピカイチだと思う。それは、新撰組第1話でも感じたんだけど(人を殺すことにゲーム性を感じるちょっとした歪みがあるようなのを、無邪気に演じるのがうまい)。
 石坂浩二さんは、これはもう普通に文句なく安定感がある感じ。
 ちょっともっさりした役柄だったのですが、うまく「人格者に見えて、実はひとつのことしか見えていない学者馬鹿」をあらわしていたですね。じわり、とラストのほうで出てくる学者の歪んだ一面のようなものが、やはりうまかったなあと。

 脚本が三谷幸喜さんなので、どういうふうに役を持ってくるかなあと思っていたのですが、藤原さんについては想像通りに書いてきたのでやっぱり、と思いました。
 三谷さんは役者を決めてから脚本を書くアテ書きが多いそうですが、それで一番魅力的に見える部分を引き出せるからすごいですね。

 3夜シリーズってところで、この第1話の時点では何をしてくるかわからなかったのだけれど、いつも画面の端に出てきた「向島」さん(巡査なのかな?)がホテルの保安係に転職する、というので繋がってくるとは思いませんでした。
 そして転職の理由、が2夜目のストーリーの芯になってくるとは。ちょっとびっくり。
 うまく脇役を回すなあ…このあたり、舞台演出系の流れがあるのかな、とかちょっと思いました。

 さて、本体ですが。ネタバレ注意です。ビデオにとって見てない方はまた後で。(笑)
 これも3夜中ではナンバー1かな。
 新春放送で、どうにもばたばたしてて見てないシーンとかもあるんですけど…。
 最後のまとめ方が、どうにもうまかった。
 物証もない、用意周到に準備され、自分で思いつくように仕向けているために殺人教唆でも引っ張れない、まさかそこで手を引くとは思いませんでしたが、どう持っていくんだろうと心配していると、突然出てくる15年前の符号。
 15年前から行方不明の人物、15年前に発見された先の欠けた石器。
 死体が記念碑の下に埋まっているというのはちょっと強引でしたけども。そして、命よりも大事…というわけではないけれども、物証になりかねないのにそれでも捨てられないくらい重要な研究財である矢じりで衝動的とはいえ人を刺すか?という謎もありつつも…(苦笑)。
 ちょっとはらはらさせて、きちっとまとめるというところでは、いわゆる序破急で。
 ただ、そのまとめ方に流されてしまうところだったけれど、結局、一連の殺人については、藤原竜也がすべての罪をかぶってしまうわけで、石坂浩二には罪は問えない。その悪が罰されない部分についてはスルーでしたね。

 話の設定としては、ちょっと物事の捉え方が周りと違うゆえに人から浮きやすく、天才らしい繊細さをもったまま大人になった青年と、古代文明の研究に身をささげて田舎に移り住んだ学者が起こした事件。

 青年は、代々続くパン工場に、兄とともに重役として働いていた。あんぱんとジャムパンくらいしか作っていないパン工場では経営は苦しくて、ついに工場所有の山を売ってレジャーランドにするという計画が持ち上がる。決めたのは社長である兄。父親はずいぶん前に行方不明になっていたのである。
 これを快く思わないのは学者先生。
 自分を理解してくれると全幅の信頼を見せる青年の前で、コンビニに出荷するとか新しいパンを開発するとか、方法はいくらでもあるのに…と愚痴ってみせる。
 青年は山は保護すべきもの、売るのは最終手段で、そうしなくてはならないのは兄たちの努力が足りないからだと憤る。そして、たまたま見つけたノートが、自分が小学生の頃に書いた「ひとのころしかた」の自由研究のノートだったと気づく。
 研究に穴はないはずだった。ノートのとおりに行えば、完全犯罪が実行できる。
 そう考えた青年は、誰にも内緒で、自分ひとりの計画で完全犯罪を実行するのだった。…それが、うまく洗脳されたゆえの行動だとは思いもせずに。
 そして、捜査の天才・古畑警部補によって追い詰められた青年は、ひとつの逃げ道に気づく。自分も被害者になってしまえばいいのだ。
 …翌朝、銃の暴発によって死亡した青年の身体が雪に埋もれて発見され、止められなかった悲劇に警部補は目頭を押さえたのである。

 最初の犯罪があまりにうまく行き過ぎたゆえに、青年はノートに書かれている言葉に疑いを持たなかった。
 信頼できる人物の手元にずっと保管されていたものである。誰かの手が加えられようはずもなかった。
 だから、肝心の、銃の暴発をコントロールするための火薬の量が、倍以上に書き換えられているとは思いもしなかったのだ。

 あまりに奔放で無邪気な青年だったから、彼が警部補に追い詰められる姿は見たくないと思ってしまった。
 自分の意見だったはずの営業範囲拡大、新製品の開発を重役会議で生き生きと語り、それを否定されてからつまらなそうに口を尖らせ、大きな物言いをしていたわりに代替案が思いつかないところなどはとても子供っぽくて、危うさがあったように思う。
 なぜ実の兄を殺したのか、殺してまで守りたかったものは何か、そう問われたときにアイデンティティを失ってしまいそうな緊迫感があった。
 だから彼の死は、学者にとっても救いだったのだろうと思う。たとえあえてそうなるように仕向けていたのだとしても、だ。
 最後に学者は、青年は人に流されやすい性格だからいずれ重役たちの言いなりになるだろう、だからころしたのだと言っていたけれども、青年が追い詰められ逮捕されてしまえば自動的に会社の代表の座から落ちてしまうわけで、なにも殺す必要はなかった。
 あえてそうしたのは、やはり何らかの理由があったのではないかと、そう思ってしまったのだった。

 以上、ちょっとエンターテイメントドラマにもかかわらずカタク語ってみました(笑)。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://tra.cside.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/10

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)