2006年09月29日

●平野遼-青春の闇~平野清子聞書

 この本を、勧められて読みました。
 平野遼という画家は、以前行った「街じゅうアート」で初めて作品を見たのですが、ずいぶん動きのある絵を描く方だなと思ったのですが(動きを感じさせるというか)、本領は抽象画だったとのこと。
 抽象画は、確かに難解でした……。

 このお話は、亡き夫・平野遼のことを、平野清子さんが語り、著者が補足をつけていくという形で進められたものだそうです。おそらく、清子さんの語りを最大限生かそうとしたのでしょう。文中に同じエピソードが数回出てきます。
 そうは言っても、それだけ、平野夫人の中でそのエピソードが大きかったことを示しているともいえると思います。  
 戦後、あらゆる人たちが苦しんだ時代、例に漏れず…いや、それよりもひときわ苦しい生活を送った平野遼画伯は、それでも絵を描くということしか頭になく、絵を描くことで生活していました。
 そして、理解ある人に恵まれ、苦しいながらもお互いに助け合うような、そんな空気が漂っていた当時の北九州だからこそ、過ごせたのかもしれないと思う時間が、確かにそこに刻まれていました。

 普段は寡黙な平野氏が、一晩の生活費を稼ぐために編み出した方法は、似顔絵描き。
 抽象画を本領とする画伯が、そういう似顔絵を描くことについてどのような感覚を持っていたのか、それは妻である清子夫人にもわからなかったようです。
 けれども、20分といった恐るべき速さで作品を仕上げ、相手を納得させるほどの力を持つ似顔絵を披露し、そしてお金に変える。それは画家としての能力を磨く場でしかありえない。
 寡黙な画伯が、似顔絵を描くとき、そして代金を貰うときは驚くほど愛想がよかったといいます。そこは、彼の画家としての自負が、作品を認めさせたかったのか…無愛想で失うものについて、きっと知っていたのでしょう。

 芸術家とはかくあるべき、そう感じさせる本です。

 そして、平野遼の作品を、見たくなる本です。
 平野氏の作品は、北九州市立美術館にかなりの数を寄贈されたと聞きます。
 近々展示する企画など、ないのかなあ。

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